街を散策中、レンタルビデオ屋の
ポスターのある芸能人を見て綺麗だと感じた。
今までは、特にその女性に対して
何の感覚も持っていなかったが、
僕の心の隙間にフッと入ってきた。
以前、僕の友人がその芸能人を綺麗だと絶賛していた。
僕はその時、肯定も否定もせず、
「あーそんな人、いるんだなぁ」程度で、
右から左へ受け流していた。
面白いなぁと感じるのは、彼が綺麗だと言っていたのが
僕の潜在意識の中に叩き込まれていて、
今までは意識もしなかった人なのに
その言葉によって意識するになったことだ。
結果、その人を認識し、綺麗だなぁと感じた。
人に流されやすい?と言えばそれまでだが、
今までは目に止まらなかったのだから
友人のコメントが非常に重要だと感じた。
友人の意見の例に「好みの芸能人」を出したが、
様々なケースに対して言える。
自分以外の人はそれぞれの価値観を持っているし、
他人からは自分のことを客観的に見ることが出来る。
そんな友人と話をしていて
自分の生き方に幅が無いこと、
例えるなら
ハンドルの「あそび」、
封筒の「のりしろ」、
牛丼の「紅しょうが」が無いことに気が付く。
「おおっ。そんな考え方もあるねぇ。。」
「おおっ。それはブレイクスルーだわっ!」
今回は「美人芸能人」のお陰で再確認したが
いつもいつも友人の存在には助けられている。
6月8日に三十路の誕生日を向かえ、
嬉しいことに2週間に渡り、3回誕生日会なるものを開催してくれた。
いつもは忙しい友人(勿論JSKもバリバリに忙しいが・・・)だが、
1年に1回、そして、記念すべき10の位アップ誕生日だけに
業務の合間の自由時間を自分の為に使ってくれた。
JSK生活に入ってから、特に人と顔を合わす機会が激減したので
友人達との時間は何者にも替え難いものであった。
当たり前であるが、自分とは違うものを持つ友人達。
当たり前であるが、違う将来図を描く友人達。
当たり前であるが、TT(短パン・Tシャツ)で平日を過ごさない友人達。
上記のような違いを感じながら、
「友人」であるから尊敬の念を抱いている。
だから心を打ち解け合わせ、話が出来る。
誕生日会で久しぶりに友人と会話をしたが、
本当に色々な発見があり、刺激となった。
今まで、自分が見つけることの無かった物事の見方。
気付くことの無かった考え方。人生の全うの仕方。
未知との世界と巡り合わせてくれるのが「友人の存在」だ。
疑問だっ。
友人達はJSKの自分に対して、
刺激を感じてくれているだろうか。。。
流行の芸能人をインターネットで調べて教えてあげたい!
って、完全にマズイ三十路まっしぐらだ。。。
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