2007年9月11日火曜日

あれから6年・・・

忘れもしない、6年前の今日。
僕はアメリカにいた。
あの日も今日と同じ火曜日だったのを記憶する。

何故なら、前日まで弟が遊びに来ていて、
ちょっと遊びすぎたと、反省しながらも
いつも通り朝起きて、出掛けていった。

気掛りだったのは、僕の携帯電話に
着信が何件か残っていたことだった。

しかし、誰からの着信かも分からないまま
車を走らせ、近くのコーヒーショップで
いつも通り、コーヒーを買おうとしたら、
周囲の人達の話が聞こえる。

「NYに小型飛行機が・・・」
「NYのビルが崩れた・・・」

まぁ、僕の英語力の問題もあるのだが、
意味が良く分からずに、
コーヒーを啜りながら店を出た。

そして電気屋の前の信号で停まった時に
ショーウインドウのテレビに
映し出される光景を見ても気が付かなかった。

「ハリウッドの映画だろう・・・」

その後、友人との会話の中で
テレビから映し出されていた光景が
本物だったことに気が付く。

そして、日本の両親から電話が掛かってきた。
安否を気遣い、昨晩から電話を掛けていたらしい。

何も分からないまま、

不安の中で過ごしたのを覚えている。

僕が住んでいたのは田舎町で、
危険に晒される危険性は無いものの、
上空には戦闘機が列を成して飛んでいたりもした。

現在の中東の情勢に関しては言及するつもりは無い。

国家への「忠誠心」と表現すべきか、
「愛」と表現するべきか、「誇り」と表現するべきか
本当に表現する言葉を見つけるのは難しいが、
その後のアメリカ人の並々ならぬ、団結力には驚いた。

国全体が異様な雰囲気に包まれていたのは間違いない。

走る車には国旗のステッカーが貼られ、
スーパーのレジの横では国旗のピンバッジが販売され、
小さな町の至る所で、星条旗の旗が揺れていた。

色々な見解があるとは思うが、
少なくとも、その時の僕は異様な雰囲気を感じた。

多民族国家が故に、有事の際に、
結びつく、また、何かを基準にして
結びつかなければならないその様は、
単一民族国家の日本では想像も付かなかった。。。

僕の人生の中で忘れられない1日であったことは確かだ。
これからもこの日にあの日のことを思い出すだろう。
S