2007年6月17日日曜日

父の日。

幼い頃、好きなアニメは「タッチ」だった。


放送をリアルタイムで見ていたわけではないが、
漫画だったり、映画だったり、夏休みのアニメスペシャルだったりと
何回も読んだり、観たりした記憶がある。


野球が好きだったので、
甲子園を目指す主人公の双子の兄弟の姿が
鮮烈に僕の心を射抜いていた。


幼馴染みとのちょっとした恋愛模様も描写されていて
当時の自分にとっては、大人なアニメに映ったことは間違いない。


それが、いつしか僕は、「タッチ」の主人公と同い年となり、
甲子園を目指し、青春時代の1ページに思い出を残し、
そして、いつしか僕は、タッチの主人公より年上となり、
ビジネスマン生活を送りながら、甲子園の結果を気にするようになった。


当たり前だが、年代と共に、
モノやコトに対する見方、考え方が変化してくる。



閑話休題、小学生の日記のようなタイトル。


センスの欠片も感じない。


日頃から父親のみならず、両親に感謝している。
今も昔も、そしてこれからも。


僕も近い将来(恐らく)結婚し、
(恐らく)平和な家庭を築く日が来ることだろう。
10の位がもう1つ繰り上がる前に
実現したいと考えているが。。。


そうなった時、父の日に子供から「ありがとう」と
言葉を掛けられたら、どう感じるのだろうか。


同世代の男性で、父の日の「感謝される立場」を
経験している人は何人もいるだろうが、
僕にとってみればハッキリ言って未知数だ。


今の自分には想像も付かない。


何年後か判らないが、この文章を読み返した
自分がどう感じるのか、かなり興味がある。
逆に、今の「JSK生活」を懐かしむことだろう。

今想像出来るのは明日の昼食くらいまでだろう。。。
あとは、治ったときの妄想かぁっ。。。


「ルビンの壺」ではないけれど、
「人生」は光の当て方で違って見える。
本当に面白いと、毎日の「JSK生活」で感じている。


この素晴らしい時間を送れていることに感謝。
S