2007年9月28日金曜日

誤ること、謝ること。

どんなオトナシイ人でも喧嘩をしたことがない人はいないだろう。

取っ組み合いの喧嘩は無いかもしれない。
口喧嘩、口論まで行かなくても、
少なくとも自分の感情の高ぶりを抑えきれずに
ちょっと言葉が荒くなってしまった経験はあるだろう。

今ではハッキリ言って、取っ組み合いの喧嘩は無いが、
幼い頃(高校生ぐらいまで(笑))は弟といつも喧嘩をしていた。




まぁ、内容は本当に些細なこと。。。

以前、弟がここに残していたように
TVゲームの中で兄弟間で決められた取り決め
(これもかなり片務的な内容であるが・・・)を
弟が守らず、いきなり喧嘩が始まることなんかはまだ良い方だ。
上記は片務的ではありながらも、喧嘩する理由にはなった。

理由にはならない喧嘩が頻発していた。
僕の/弟の気分が悪いとか、ムカついているとか・・・

上記は理由でも何でもない。 。。

まぁ、兄弟喧嘩の結果の定番は「兄>弟」であり、
我が家でも、その公式が破綻することはなかった。

最終的に喧嘩によって関係が破綻し続けることなく、
お蔭様で、兄弟、円満な関係を構築している。

些細な喧嘩でも「謝る」ということが
何処からとも無くあったからだろう。

「謝罪」に関してメッセージを残したことがある。
社会的に何か疑義のある問題が発覚した時に
説明の際に、欧米型か日本型か、
どちらが好ましいかという内容について触れていた。

しかし、「誤った」ことをした場合、
それは「謝罪」をしなければならない。
この前触れた内容とは若干異なる。

「誤った」ことをしたのに「隠す」ということは
一番してはいけないことだと思う。

「誤り」を無くすこと最善ではあるが、
そこは人間が生きている中で、止む得ないことだ。
では、「誤り」をしたときに、どう「謝る」か。
人間の資質はそこで大きく左右される気がしてならない。

しっかし、兄弟喧嘩をしたなぁ~~っ。
S