2007年7月6日金曜日

治ったらしたい10のこと その⑩

治ったらしたい最後にして最大のことは
「⑩野球がしたい!」だっ!!!

怪我をした後、
多くの人から叱咤激励を頂く。

「もう若くないんだから~~!」
⇒全くその通り。。。

「派手な怪我でも明るいね~~!」
⇒全くその通り。。。

逆にこんなコメントも・・・
「いや~っ、そんだけ出来るのは若いね~!」
⇒全くその通り。。。

そして、
「もう、2度と野球やりたくないでしょ?」
⇒これだけは反論する。

また元通りの足首になって
ユニフォームを着て野球をしたい。
その日を目標にリハビリに精を出している。

野球をする舞台は、
●●ドームや▲▲スタジアムなど、
決して華やかな場所ではない。

近所の公園だっ。
でも、その公園の野球場に
また立てることを願って止まない。

「三十路男がねぇ~っ。」
「いい加減にねぇ~~っ。」
⇒全くの仰る通り。

普通の人にとったらばそうかもしれない。
が、僕にとってやっぱり
「野球」をすることは特別なことだ。


1970年代、80年代と高度成長期を支えていた
日本の父親達は毎日、仕事に追われていた。

今みたいな週休2日制でも、フレックス制でもない
社会の中で、無我夢中に働き、
日本を世界で2番目の経済大国へと押し上げた。

僕も父親もそんなサラリーマンの1人。
小学校の頃に遊んでもらった記憶はない。

週末は弟と東京郊外に住む、
祖父母の家に行き、遊んでもらった。

祖父の家の庭で、野球をするのが
楽しみにで仕方なかった。本当に楽しかった。

夏になると祖母が切ってくれるスイカを片手に、
「KK」で沸いている甲子園を幼な心に
眺めながら、祖父がルールを解説してくれた。

僕は野球にのめり込んで行った。

高学年になるとリトルリーグに入って、
毎週末、母親に迷惑を掛けながらも、
野球が中心の生活が始まった。

その後、中学、高校と
僕の青春時代は「野球」と共に流れた。

辛いこともあったが、多くの喜びを味わった。

大学でも野球を続けたかった。
手術をしても思うように回復しなかった肩。
野球を競技として続けられない事実を
受け止めるのは本当に悲しかった。

真剣に取り組むことを「野球」で知った。
喜怒哀楽の全ての感情を「野球」から教わった。
そして、多くの友人を「野球」から得た。

大袈裟かもしれないが、
人生の機微を教わった。

よくゴルフを人生に例え
「人生、至る所にバンカーあり」と表現するが、

僕は野球を人生に例え
「野球のダイアモンドはプライスレス」

もう、自画自賛の境地だ。
「ウマイ、ウマスギル~っ」
「オジイチャン、アリガトウ~っ」

基、ちょっと真面目に書き過ぎたが、
「本当にもう1回、ダイアモンドでプレーしたい!」

七夕目前だが短冊にはそう書きたい。
三十路独身男、今日は何だかロマンチストだ。

グローブに手を通した瞬間、
ボールに触れた瞬間、
バットを握った瞬間に何を思い出す。

僕の人生にとって大切な「何か」を。
でも、ちょっとドキドキしているのは

あの怪我した瞬間のスライディングが出来るか否かだ。

絶対にしないなっ。
そこには大切な「何か」がないことを身をもって体験した。
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