1945年の今日、広島に原爆が投下された。
小学校の社会の授業で習った歴史的事実だ。
世界的な戦渦の中での米国による
原爆投下について、ここでは言及はしない。
しかし世界で唯一の被爆国で
あるという事実を今の日本人がどう受け止めて、
どうやって後世に伝えていくか、
改めて毎年、今日この日に考える。
怪我をして満足な日々を送ることの
出来ない今年も決して例外ではない。
晩年の祖父は僕によく戦争の話をした。
1時間前の記憶は定かではないが、
50数年前の戦渦の記憶は鮮明で、
事細かく僕に語りかけてくれた。
今の僕らの世代には想像も付かないくらい
鮮烈で過酷な経験だったのだろう。
僕が40代、50代、そして60代、70代になった時、
この日本が経験した歴史をどれだけ詳細に
後世に伝えることが出来るか不安に感じる。
僕のまだまだ未熟な人生ではあるが、
例にとって見ると、体験、経験等の
自分の歴史があって、今の自分があると強く感じる。
そして、これからの自分を作る上での大きな糧となっている。
今まで、ここに書き残してきた
野球を通しての経験だったり、
アメリカ滞在での経験だったり、
そして、今回の骨折での不自由な経験だったり。。。
今の日本、これからの日本も
まさにこれと同じ気がする。
どれだけの人間が、
被爆と言う事実を認識して、受け止めているか。
どれだけの人間が、
被爆と言う事実を後世に伝えようとしているのか。
霞ヶ関で下らない議論をするよりも、
これからの日本の国創りに必要なコト。
これからの若者に伝えなければならないコト。
そんなことを議論出来る
大人な国になって貰いたいと強く望む。
「自国の歴史を知っている若者」
「自国を誇れる若者」
僕はそれだけでも充分にカッコいい
日本人であるし、世界に通じる日本人であると思う。
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